こちらは、福本豊の名言のなかでも特に有名です。「そんなん」とは国民栄誉賞のこと。福本豊は盗塁数の記録を作ったときに、国民栄誉賞の打診を受けたことがありました。しかしそれを辞退し、その理由としてこのように発言したそうです。のちに、この発言の真意を「国民の模範になるような品行方正な人間ではない」という意味だったと語っています。
ちなみに、国民栄誉賞を辞退したということから、彼は韓国籍なのではないかという噂も立ちましたが、どうやらそれはただの噂で、彼は韓国とは関係ないようです。
(同じく国民栄誉賞を辞退した大谷翔平については以下の記事も参考にしてみてください)
【画像】大谷翔平の筋肉が急成長!進化の歴史〜筋トレ&食事について解説!
出典:Slope[スロープ]
障がいがルールに合わんのやったら、障がいにルールを合わせたらええねん。
阪急ブレーブスでは、新人選手が養護施設と療養施設を慰問することが義務とされていました。福本豊は新人選手でなくなってからもずっと慰問を続け、たびたび施設の人たちを誘って野球をしていました。これがきっかけで各地に障がい者のチームができ、のちに日本身体障害者野球連盟が誕生します。なお、福本豊はその名誉会長を務めています。
この言葉は、福本豊が障がい者の野球について言ったことです。福本豊は障がい者の人たちにも真剣にコーチングし、鍛えていたそうです。プロ野球選手としてできることを、野球以外でも積極的に行う、彼の温かさが伝わってきます。
結果をいろいろ出すために自分で努力するんやからね。話を聞くだけでうまくなるんやったら、みんなうまくなっとる。
人のアドバイスを聞くことはもちろん大切ですが、それだけで何もかもうまくいくほど、世の中は簡単ではありません。プロ野球選手になってからも練習を欠かさなかった福本豊の名言は、社会のあらゆることに通じるように思えます。
なんかおもろいことのってまっか?
福本豊は高校卒業後、松下電器で社会人野球の選手をしていました。プロ野球に憧れはありましたが、まさか自分が指名されるなど思っていなかった福本豊は、ドラフト会議のあった翌日、新聞を読んでいた会社の先輩にこう尋ねました。そして「おもろいことって、お前指名されとるがな」と言われ、初めて自分が指名されたことを知ったそうです。
福本豊の名言が響く記録の数々!
福本豊は、現役時代、さまざまな記録を打ち立てました。なかでも、通算盗塁数やシーズンの盗塁数は引退して35年近くが経った今でも、誰も到達できない日本記録です。ここでは、福本豊が獲得したタイトルや、現役時代の通算成績を紹介します。
タイトル
年度 | タイトル |
---|---|
1970 | ・盗塁王 |
1971 | ・盗塁王 |
1972 | ・盗塁王 ・最優秀選手 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 |
1973 | ・盗塁王 ・最多安打 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 ・オールスターゲームMVP |
1974 | ・盗塁王 ・最多安打 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 ・オールスターゲームMVP |
1975 | ・盗塁王 ・ダイヤモンドグラブ賞 ・日本シリーズ技能賞 |
1976 | ・盗塁王 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 ・日本シリーズMVP ・日本シリーズ打撃賞 |
1977 | ・盗塁王 ・最多安打 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 ・日本シリーズ優秀選手賞 |
1978 | ・盗塁王 ・最多安打 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 |
1979 | ・盗塁王 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 |
1980 | ・盗塁王 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 |
1981 | ・盗塁王 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 |
1982 | ・盗塁王 ・ベストナイン ・ダイヤモンドグラブ賞 ・オールスターゲームMVP |
1983 | ・ダイヤモンドグラブ賞 |
1984 | ・日本シリーズ優秀選手賞 |
1988 | ・兵庫県スポーツ優秀選手特別賞 |
2002 | ・野球殿堂競技者表彰 |
福本豊はプロ入り1年目から一軍で試合に出ていましたが、野球選手としては小柄で、非力であったため、最初は思うほどの活躍ができなかったようです。しかし、素振りなどを繰り返し努力を続けた結果、1970年頃からはレギュラーに定着しました。その後はコンスタントに活躍し、引退するまでさまざまな賞をもらっています。2002年には殿堂入りも果たしました。
打撃成績
年度 | 試合 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|
1969 | 38 | 2 | 4 | 4 | 0.282 |
1970 | 127 | 8 | 41 | 75 | 0.274 |
1971 | 117 | 10 | 45 | 67 | 0.277 |
1972 | 122 | 14 | 40 | 106 | 0.301 |
1973 | 123 | 13 | 54 | 95 | 0.306 |
1974 | 129 | 8 | 52 | 94 | 0.327 |
1975 | 130 | 10 | 51 | 63 | 0.259 |
1976 | 129 | 8 | 46 | 62 | 0.282 |
1977 | 130 | 16 | 54 | 61 | 0.305 |
1978 | 130 | 8 | 34 | 70 | 0.325 |
1979 | 128 | 17 | 67 | 60 | 0.288 |
1980 | 128 | 21 | 58 | 54 | 0.321 |
1981 | 130 | 14 | 48 | 54 | 0.287 |
1982 | 127 | 15 | 56 | 54 | 0.303 |
1983 | 130 | 10 | 59 | 55 | 0.286 |
1984 | 130 | 9 | 41 | 36 | 0.258 |
1985 | 130 | 11 | 51 | 23 | 0.287 |
1986 | 130 | 8 | 29 | 23 | 0.264 |
1987 | 101 | 5 | 33 | 6 | 0.287 |
1988 | 92 | 1 | 21 | 3 | 0.253 |
打撃成績で特に際立っているのが、やはり盗塁数です。天才とも言われますが、走り方やスライディングの技術を磨き、相手ピッチャーの投球の癖を徹底的に研究したことにより、達成できた数字とのこと。天性のものではなく、たゆまぬ努力のおかげで成し遂げた記録なのです。